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『松下幸之助』

尊敬する人は?と聞かれたら、私は松下幸之助さんの名前を挙げます。

松下電器産業(現パナソニック)創設者。

希代の名経営者としてしられます。

一代で世界的企業を作り上げましたが、波乱万丈な道を歩んでいました。そこで得た経験と人の心の機微を感じる感性で培われた経営哲学は、時代に左右されず、いつの時代にも心に響くものがあると思います。

私が興味をもったのは、本当にふとしたきっかけでした。

コンビニで売っていた宝島社発行の『松下幸之助』というムックを何気なく読んだところ、その人生に胸を打たれたのです。

その中で特に感動した『熱海会談』についてご紹介したいと思います。

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東京五輪が開催された1964年、テレビや洗濯機などの主力家電が普及の飽和点へと接近していた。

高度成長期の反動に金融引き締めがあいまって需要は停滞。

全国の松下電器の販売店、代理店の多くが赤字経営に転落してしまう。

『商品といい、売り方といい、悪いのは本社ではないか』

現場は松下電器の不満でいっぱいだった。

当時会長であった松下氏(69歳)は事態を重要視し、営業所長及び全国の販売店、代理店の社長を全員熱海の『ニューフジヤホテル』に集めるように指示した。

『これでは顔が見えん』

会議前日、整然と並べられた座席を見た松下氏は、出席者一人一人の顔がよく見えるよう、座席を一列おきにずらし、全員の顔が見えるよう並べさせた。

とにかく徹底的に対話をするほかないという決意の表れだった。

始まった会談は、さながら『松下4弾大会』であった。

率直な意見を求めた松下氏に対し、一人が不満を述べると堰を切ったように苦情と批判が松下氏に浴びせられた。松下氏も応酬した。

『そうはいってもすべてが赤字やない。黒字のところだってある。皆さん本当に、血の小便が出るまで苦労されたことがありますか』

お互いが責任を問い、議論は平行線をたどった。出口が見えない議論が永遠と続き、誰もが途方に暮れていた3日目、松下氏は頭を垂れてこう切り出した。

『現状は分かった。結局松下電器が悪かった。この一語に尽きると思います。』

顔を上げた松下氏の目から涙が落ちた。会場はしんと静まった。

『30年近く前、相撲でいえば幕下だった松下の電球をおおいに売って下さったのは皆さんでした。今の松下電器があるのも皆さんのおかげ。松下電器がまず改め、そのうえで皆さんにも求める点があれば改善を求めたい。売り上げの減少などこの際問題ではない。もう、誰が悪いではなく、心を入れ替え出直したい。』

松下氏は詫びた。

あれほど激しく非難の声をあげた参加者たちも泣いた。そして協力と団結を誓ったのである。

『熱海会談』後、会長職にあった松下氏は、営業本部長として現場に復帰。自ら陣頭指揮にあたり、その決意を実践させて見せた。新たに導入した新販売制度は軌道に乗り、松下電器の華積も回復に向かったのである。

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これが『熱海会談』の一望です。

このほかにも伝説的な言動はたくさんあります。

それらに一貫して感じられるのは、人への信頼と幸福への願いでした。

資本主義に傾倒し、殺伐とした現代になりましたが、このような不況に陥り、資本主義では立ち行かなくなり、今、改めて注目されているのは『人の心』だと思います。

≪本のご紹介≫

宝島社ムック  『松下幸之助』

宝島社文庫   『松下幸之助』

PHP研究所より松下幸之助 関連書

           松下 下著書          多数 

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